会社概要
会社名 | 株式会社ケイワークス |
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代表者名 | 代表取締役 黒田功 様 |
所在地 | 〒440-0086 愛知県豊橋市下地町字宮前35-1 |
事業内容 | キャンピングカー開発・製造・販売 中古車の販売・買取サービス |
創業 | 1998年 |
資本金 | 4,000万円 |
順調にみえた経営の陰に潜む「違和感」
《黒田社長》「売上が上がっていたことは間違いありませんし、それ自体はポジティブに捉えていました。ただ思ったほど利益につながっていないという現実もありました。何か問題が内在するのだろうけど、私自身それがみえていないというもどかしい状況でした。『これを放置したままでは次のステージには進めない……。』そんなことを感じていました。」
20代の頃からモータースポーツにのめり込み、オートバイのレースに青春をささげてきたという黒田社長。レース引退をきっかけに一時目標を見失うも、キャンピングカーの製造というアイデア・進むべき方向性を見出してからは、賛同者や協力者を巻き込みながら、右肩上がりに成長を続けていった。 1998年にケイワークスを旗揚げし、創業から8年後の2006年には法人化。さらに、2010年代から勢いを増したアウトドアブームに後押しされ順調に業績を伸ばしていた。しかし「もろ手を挙げて喜べる状況というわけではなかった。」と黒田社長は当時を回想する。
黒田社長の迅速な行動で資金の動きを是正。
資金面の不安を一掃するも……。
「売上は上昇を続けているのに営業利益が伸びない」という問題の根底には何があったのか?当時、黒田社長は「請求が来たらすぐに支払うことが信用につながる」という考えを持っていたため、社内に資金を留めておくことができていなかった。 一台数百万円の車両を買い入れ、それをカスタマイズして顧客に販売するというビジネスモデルのため、一度に数十台を仕入れてすぐに支払いをしてしまうと、その後売上が入ってくるまでの間は資金的に厳しい状況が続いてしまうのだ。 数字の動きを把握しきちんとコントロールできれば、資金問題は解消され、利益は上がっていく。黒田社長は、問題の本質がわかるとすぐ改善に動いた。問題意識の高さと現役レーサー顔負けのスピード対応によって、ほどなくして正常なサイクルが機能することになる。しかし、ケイワークスが抱えていたのは、資金についての問題だけではなかった……。
隠れていた問題に向き合い、
一つひとつを潰していく闘い
個人事業としてのケイワークスは、黒田社長が思い描くビジョンを、黒田社長自身の人脈と経験値によって実現していけばよかった。しかし、企業としてのケイワークスが進化していくためには、社長一人の力だけでは如何ともしがたいものがあった。 社員一人ひとりは優秀であり、もちろん会社の発展を願っているのは明らかだったが、物足りない部分もあった。社員間の連携、情報の共有、そして同じベクトルに向かっていく共通認識が不足していたのだ。それぞれの社員が思い思いの理念やベクトルを持って業務に取り組んでいては、企業としての推進力は生まれにくい。黒田社長の想いを社員が共有し、同じ方向を向くための改革が必要だった。 ひと筋縄ではいかないが、社長と社員の意識改革は、ケイワークスの未来にとって避けられない。黒田社長とNBCの、二人三脚での改革がスタートした。
連携し、共有し、同じ方向に進むための
新たな「仕組みづくり」
数字を軸とした経営改革! 3つの「資金改善ポイント」
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- ● データの「見える化」を実現し、常に確認できる環境づくり
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- ●「情報共有」の徹底によって、現在地を完璧に把握
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- ● 全社的に同じ方向を向くために不可欠な「チェック体制」強化
《黒田社長》「それまでは決めたことをやり遂げられない、各人が最後まで責任をとらない、といった風潮があったのも事実です。そこは変えていかなくてはならないと強く感じていました。」
経営管理の仕組み・制度といえるものがほとんどない状況だったため、社員全員が責任をもって業務遂行する環境を構築すべく、ソフト面・ハード面の改善に取り組んだ。データの「見える化」「情報共有」「チェック体制」が機能したことで、ケアレスミスや業務の遅延、情報共有不足は激減。業務の効率化や迅速化が進んだことはもちろん、社長を含めた社員全体の“意識改革”も推進された。
結実しつつある成果。膨らむ今後の展望――。
改革前は「売上に見合った利益が上げられていない」「資金の確保がままらない」「社長の想いやビジョンが共有できていない」という課題を抱えていた同社だが、2015年時点で0.7%程度だった営業利益率は、2年後の2017年には3倍近い2.2%にまで上昇。元々、安定した受注と売上を確保していただけに、業務上の無駄を省き、効率化、スピードアップが進めば、新プロジェクトの展開、幅広いジャンルへの進出などの展望も見えてくる。 個人商店から企業体への移行が成し遂げられたのは、黒田社長が抱いていたビジネスのイメージが秀逸であったからだけではない。問題点に対して真摯に向き合う姿勢、行動力、スピード感。そして、変革のためには痛みも厭わない強いメンタリティ。そういった一連の要素が重なり合って、進むべき方向性を見出すことができたのだ。今後もスローガンである「共創・共育」を貫かれ、「経営の三方よし」を体現されていくことを確信している。